さざなみ3 マサオ

3 マサオ

 マサオはタツヤ、ヒロユキと同じく高校の同級生だった。マサオは高校生の時から、サルトルフーコーを読み、学校の中でも一目置かれていた。マサオとはいろいろ話をしたが、一番記憶に残っているのは、「人間の死は経験的な事実に過ぎない」ということだ。今までの人間は確かに死んでいったかもしれない。しかし「人は死ぬ」というのは経験的、帰納的真理であり、一人でも死なない人間がいれば、その真理は崩れる。だから、オレは死なない・・・最後の部分は飛躍しすぎだと思ったが、発想はユニークだと思った。

 マサオは三人兄弟の三番目で、二人の兄は医学部を出て医者になった。マサオも、医学部かどうかは別として、大学に進学するのだと思っていたが、進学せず、労働者となった。父親への反発と、優秀な兄二人への反発があったのかもしれない。マサオは父親を憎んでおり、ことあるごとに「ぶっ殺してやる」と言っていた。ある時、進路をめぐって父親と口論になり、マサオが部屋に戻って木刀を持ってくると、父親はなげしに掛けてあった先祖伝来の槍を取り、鞘を払って構えた。マサオは「いつかぶっ殺してやるからな」と捨てゼリフを吐いて撤退したという。壮絶な親子だ。

 マサオは季節労働者として全国を渡り歩き、最後は沖縄にたどり着いた。日本の最西端、与那国島の浜辺で、サトウキビ工場の仲間たちと飲んでいる最中、姿が見えなくなり、仲間たちが探すと、波間に漂っているマサオを発見したという。

 マサオの通夜振る舞いは、今般コロナの影響もあり、店じまいした柴又の料理屋で開かれた。川魚料理が有名な店で、特にうなぎがおいしかったが、箸が動かず、私たちはひたすら飲んだ。親戚だかなんだかわからない人たちが、口々にマサオを褒め、マサオの死を残念がった。人間、死んだらおしまいだと思った。

 その席で、家族は、マサオの死が自死ではないか、と私たちに訊いてきたが、私たちは答えなかった。マサオは父親を憎んでおり、父親が亡くなったらその遺産で喫茶店を開くことを夢見ていた。マサオが1号店の店長で、タツヤが2号店、ヒロユキが3号店、で私が4号店。だから、マサオが死ぬわけがない・・・だが、そんなことは家族には言えない。マサオが望んでいたのは、父親の死であり、自分の死ではない。逆に、なぜ家族はマサオの死が自死だと思ったのだろう。マサオは、家族には自分の精神の危うさを見せていた、とでもいうのだろうか。

人間、死んだらおしまいだ、と痛切に思った。最後に父親を見ると、そこには槍を構える気迫ある姿はなく、息子を失って悲嘆に暮れる一人の年寄りがいるだけだった。

 

 その帰り道、些細なことからヒロユキとタツヤが言い合いを始め、取っ組み合いのケンカになった。私はオスカー・デ・ラ・レンタの礼服を着ていたので、巻き込まれないように遠くから見ていたのだが、タツヤがヒロユキの礼服の袖を引っ張ると、そのまま袖がすっぽ抜けた。三人で心の底から笑った。