さざなみ4 タイチ

4 タイチ

 タイチは高校3年の時のクラスメイトだ。ラグビー部に所属し、今で言うイケメンで勉強もできたから、女子生徒にはモテた。

 ある日、タイチはK先生の国語の授業で吐いた。私は隣の席に座っていて、前の席の生徒の陰に隠れて弁当を食べていた。K先生は指導部の主任で、黒縁の眼鏡をかけ、ガタイがいいわけではないが人を圧するオーラがあった。だから、そういう先生の授業で早弁をするのは、一種のステータスになっていた。その先生が普段に似合わずうろたえて、「誰かタイチを保健室に連れて行ってやってくれ」と言ったのは、意外だった。タイチと私が座っていたのは、一番後ろの席だったので、K先生は気づかなかったのだろうが、タイチの吐瀉物からはアルコールの匂いがプンプンしていて、周りの生徒たちは笑いをこらえるのに必死だった。

 タイチは、前の日、トリイさんの店で飲み過ぎたのだった。女子生徒二人が、両脇からタイチを支えて、保健室に連れて行った。私はタイチの隣の席になったことを呪った。食べたばかりの弁当を戻さないように、半分目を閉じながら雑巾で拭き取った。私にとっては、とてつもなく不幸な出来事だったが、K先生にも優しいところがあるんだ、というのは発見だった。

 

 タイチは現役でKO大学に合格した。本人は、カンニングで合格した、と周囲に吹聴していたが、それは照れ隠しで言ったことだろう。私のいとこの夫が塾を主宰していて、タイチは中学、高校と、その塾に通っていた。親族の新年会でいとこの夫と会った際に、タイチのことをたいそう褒めていた。タイチは大学卒業後、N銀行に就職した。その時に改めて、大学合格もN銀行への就職も、カンニングやフロックによるものではなかった、と思った。

 タイチとは年に1〜2回、気のあった仲間たちと飲んでいたが、ある時からタイチはアルコール類を飲まなくなった。理由を聞くと、アルコール依存症と診断されたという。ある時、パレスチナの講演会に誘ったら来てくれた。講演会の後で、喫茶店で話していると、タイチはいくつかファイルを見せてくれて、アルコール依存症について熱心に説明してくれた。データを見せながら説明してくれたが、私に説明するというより、自分を納得させるために説明しているように思えた。

 ヒロユキも大阪のタツヤもアルコール依存症だった。一度、タツヤに付き合って断酒会に参加したことがあった。それぞれの参加者がそれぞれの体験と断酒への決意を語るのだが、会社を潰した人、家族、友人を失った人、健康を損った人、それらのすべてを失った人、一人ひとりの話に壮絶なドラマがあった。タツヤは断酒に対して斜に構えていたが、タイチは正面から向き合っていた。

 最後に六本木のレストランでランチをした時に、別れ際、うつ病の薬を飲んでいる、と話してくれた。タイチはハーレーにまたがって、六本木の街に消えていった。後ろ姿を見ながら、うつ病で運転しても大丈夫なのか、と思ったが、それがタイチを見た最後となった。

 それから3ヶ月ほど経った頃、ジローからタイチが亡くなったという知らせがあった。マンションから飛び降りた、という話だった。信じられなかった。タイチは、生きるために断酒していたのに、なぜ自ら死を選んだのか。うつがそうさせたのか。もっと話を聞いてあげればよかった。

 タイチは、妻と離婚したがっていた。喪主は妻だ。人間、死んだらおしまいだ、と思った。迷ったが、葬式には行かなかった。タイチが望んでいないだろうと思ったからだ。しかし、事情はどうあれ、葬式には行くべきだったかもしれない。